日本の土地が求める「普通」
真剣な時、下半身がつまっていれば(流れていなければ)その人は本物ではない。“と先生は言われる。
九月五日(土)にサントリー・ホールで、西尾恵子ヴァイオリン・リサイタルが開かれたのであるが、ピアノの尾高遵子さんは、ピアノの演奏中、下半身がつまってしまうことなく、上半身が下半身の上にスッと置かれている感じで、上半身と下半身がひっついてしまうことなく、手が解放されていて、その「動き」に一瞬のブレも無い。彼女は母親から「何が有っても腰が崩れてはいけない。」と言って育てられたそうである。
〝腰が一瞬でも崩れないから「余裕」が有る。“とは先生。
そして、それが日本人の「普通」であるはずなのだとも言われる。そうだとすると、その「普通」の「基準」が失われて久しいと言わざるをえないだろう。
「普通」で「自然」であれば「良くなる」と言っても、湿気が強く、天候の変化が激しいこの日本の土地が求める「普通」が普通ではなくなってしまっていることに気づかなくてはならない。
