日々の考察

カール・ヴァルザー展を観て

大阪でカール・ヴァルザー展を中之島美術館で観た。

カール・ヴァルザー(1877〜1943)は、1908年に日本を訪れている。恋人であった女性が彼の目の前で拳銃自殺し、その経験に落ち込んでいた彼を励まそうと、出版社が小説家のベルンハルト・ケラーマンに同行して日本旅行をさせたのだそうだ。東京や京都の宮津などに半年間滞在しての、その作品も、今回数多く展示されていた。

1908年、宮津の荒木ホテルから、5月31日に妹ファニー・ヴァルザー宛に出された書簡も展示されていた。

『私たちヨーロッパ人の悲しいところは、人生のために教育されるのではなく、人生そのものから、それも手遅れとなるほかないやり方で教育されるということで、私たちは生によってバラバラに切り刻まれてしまうのです。』

『彼らの古来の伝統からすれば、日本人はおそらく地球上で最も愛情深く幸福な人たちでしょう。少なくとも彼らの道徳や教育が目指すのは、ともにある人々にとって気持ちよく、価値ある存在であれということなのです。』

『私はもう長くはない。モリーが待っています。魂の力は大きいのです。死者のことを考える時、人々は星のことを夢見たがるけれど、私はモリーのことを考えさえすればいい。』

このモリーという人は、Molly Auguste Reitzenstein

という、カール・ヴァルザーの恋人であったチェコ人女性。

〝日本人は一線を越えた相手のことは、その相手が死んでも背負っているのです。“と、先生は言われる。

カール・ヴァルザーは日本に来て、その日本の「深さ」を感じ取ったのであろう。

『1908年という年は、日露戦争が終結した直後』『八雲が随筆や会談を通して掬い取ろうとした古き日本の心性を、ヴァルザーは舞台美術家の眼で、色彩と構図に閉じ込めようとしたのである。』『数少ない日本の身体表現そのものに正面から向き合った西洋人画家の一人としてヴァルザーを位置づけることができるだろう。』『宮津には、今も祭りが受け継がれ、当時の芸能を語り継ぐ人々の声も残されているが、ヴァルザーが日々写し取っていた踊り子たちの姿は見つけることができない。ヴァルザーの絵だけが、それを留めているのである。』『私たちの生活の中で引き継ぐべき美徳とは何なのだろうか。』

とは、三木学さん(2026年7月17日「美術評論+」)

カール・ヴァルザーが観た『ともにある人々にとって気持ちよく、価値ある存在であれ』という、日本人の美徳の感覺。その「美徳」を可能にしている「動き」、『おそらく地球上で最も愛情深く幸福な人たちでしょう。』という日本人の「動き」を彼は描けている。

〝日本人の勢いの「正しさ」、その足の(下半身の)「流れ」がカール•ヴァルザーさんは、描けている。”

〝日本人は、足元の「流れ」が広い。“

〝足の「流れ」が足りないと相手につっ込んで行くことになる。“

とは、先生。

日本人が日本人であることを現代において取り戻し、新たにその美徳を生き活かして行けるための「動き」。その「動き」を可能とする一助としての広史鍼灸院での施術になればと思う。そしてその施術が可能であるとすれば、それは、焦鉄軍先生と出会えたからであり、先生との日々の稽古を通してであることは、わかる。