「生まれてきてよかった」と心から思える自分へ
今回お話を伺ったのは、78歳を迎えた鈴木ひろ子さん。
子どものことをきっかけに先生や治療院と出会ってから、長い年月が経ちました。最初は子どものために足を運んでいた場所が、いつしかひろ子さん自身が自分を見つめ直し、家族との関係を考え、生き方そのものを変えていく場所になっていったといいます。
これまでの歩みを振り返りながら、出会った頃のこと、かつて抱えていた「自信のなさ」、そして今感じている変化について伺いました。

78歳を迎えて、あらためて思うこと
則子:8月にお誕生日を迎えられて、78歳になられたんですよね。今、何か感じていることはありますか?
ひろ子:そうですね。兄たちを見ていても、70代後半というのは、いろいろと変化のある時期なのかなと思います。
則子:ひろ子さんは熊本のご出身でしたよね。熊本にはどんな思いがありますか?
ひろ子:住んでいた頃は特別に思わなかったんですけれど、最近の夏の暑さを感じると、熊本で過ごした子どもの頃を思い出しますね。熊本は盆地なので、夏は暑いし、冬は意外と寒いんです。阿蘇があって、天草があって。離れてからの方が、故郷として思い出すことが増えた気がします。
子どものことをきっかけに、治療院へ
則子:ひろ子さんがこちらと関わるようになった最初のきっかけは、何だったのでしょう。
ひろ子:最初は子どもたちですね。娘が鉄軍先生のところへ行くようになって。その娘の紹介で、一度こちらへ伺ったことがありました。
広史:お父さまが亡くなられた頃でしたか。
ひろ子:そうですね。平成16年頃だったと思います。当時、子どものことでいろいろと悩んでいました。私の言葉も子どもに影響するような時期だったので、「まず自分が見てみよう」と思ったんです。
則子:初めてここに来た時のことは覚えていますか?
ひろ子:よく覚えているのは、お二人の笑顔です。「いい笑顔だな」と思いました。
則子:第一印象ですね。
ひろ子:そうです。それに、「変なところじゃないな」と(笑)。「ここは良さそうなところだ」と思ったんです。だから、来てすぐに「治療をお願いします」と言えたんでしょうね。自分の目で見て、何となく信頼できたのだと思います。
「自分には自信がなかった」と気づいた
則子:そこから長く治療を受け、先生の練習にも参加するようになりました。出会う前と今とで、一番変わったことは何でしょう。
ひろ子:振り返ってみると、以前の私は、自分自身に自信がなかったんだと思います。
でも、「そんなに自信を持てないような人生だったのかな」と考えると、決してそうでもないんですよね。
則子:そうですよね。
ひろ子:それなのに、なぜか自信がなかった。
子どものことで、「どうしてこうなったんだろう」と分からなくなったことが、とても大きかったと思います。そこで自分の自信もなくしてしまった。自信を持っている部分と、全く自信を持てない部分との振れ幅が、どんどん大きくなっていたんだと思います。
ひろ子:子どもの頃は、理由なんてなくても普通に自信を持って生きていたんです。でも、子どものことが分からなくなって、「自分は何をしてきたんだろう」と思うようになった。
今振り返ると、それが自分を大きく揺らしたんでしょうね。
最初は「自分のため」ではなかった
広史:最初の頃は、ご自身のために通っていたという感覚でもなかったですよね。
ひろ子:そうですね。子どものことは心配でしたけれど、その頃は両親や親戚のことも重なっていました。入院した人がいれば会いに行って、亡くなる人がいれば葬儀に行って。毎月のようにいろいろなことがあったんです。
子どもの方は先生のおかげで少しずつ良くなっているように見えていたので、「こちらは先生にお願いして、今は自分を必要としている人のところへ行こう」と思っていました。
広史:だから最初の頃は、ひろ子さん自身が治療を受けるためというより、子どもの様子を聞きに来るという意味合いが強かった。
ひろ子:そうだったと思います。
やがて家族を取り巻く状況が変わって、私自身も本格的に治療を受けたり、練習に参加したりするようになりました。
身体の変化から、「自分自身の人生」へ
広史:本格的に練習を始めて、治療も毎週のように受ける時期がありました。身体については、以前と比べてかなり良くなりましたよね。
ひろ子:前のことを忘れてしまうくらいなので(笑)。腎臓も悪くしていましたし、以前は、落ち葉を拾ったりすると膝が痛くなったりしていたんです。でも今は普通に拾っていますね。
広史:身体の問題が落ち着いてきたからこそ、今はむしろ、自分自身の人生のことに向き合う段階になってきたのかもしれませんね。成長とか、やり直しとか、自分の責任とか。
ひろ子:そうですね。
夫が病気になったことも、私たちが東京へ出てくる大きなきっかけでした。もちろん本人にとっては大変なことです。でも今振り返ると、その出来事があったからこそ動いたこともたくさんあって。「病気のおかげさま」という面も、もしかするとあるのかなと思います。
家族が変わる時、自分も変わっていく
広史:家族って不思議ですよね。一人ひとりに起きている出来事は別々に見えるけれど、家族全体が一つとして、いろいろな出来事が起きているようにも思います。
以前よりもご主人のお世話が必要になった。それだけを聞けば、ひろ子さんの負担は大きくなっています。
でも、不思議なことにひろ子さん自身は、以前より良くなっている。
ひろ子:自分でも、以前とは少し違うのかなと思います。
子どもたちのことについても、以前は「なぜこうなったのだろう」と思うばかりでした。でも今は、私たち夫婦の関わり方も何らかの影響を与えてきたんだろう、と受け止められるようになってきました。
「では、自分はこれからどう変わればいいんだろう」と考えられるようになった。それは以前とは違うところだと思います。
広史:自分の責任を認めるというのは、自分を責めることとは違いますからね。「ここから自分にできることがある」と考えられるようになる。それ自体が関係を良い方向へ動かしているのだと思います。
親子が「同じ方向を向ける」場所
対談の中で、ひろ子さんは先生や治療院について、「命の綱のような存在」と表現しました。
子どもとの関係がうまくいかなくなりそうな時にも、先生のもとで同じ練習をすることで、二人の間の空気が和らいでいくのだといいます。
ひろ子:親と子なので、どうしても私が何か言うと、押し付けのように聞こえてしまうことがあります。
私はそんなつもりではなくても、相手がそう受け取ることもある。
でも、先生の練習が始まると、不思議と関係が和むんです。
則子:二人が同じものを見るからでしょうか。
ひろ子:そうだと思います。「同じ方向を向いている」という感じですね。
親として子どもをどうにかしようとするのではなく、自分自身も一緒に学び、変わっていく。そんな場所があったことは、ひろ子さんにとって大きな支えになってきました。
「自分の良さ」は、自分一人ではなかなか見えない
話はやがて、「自信とは何だろう」というテーマへと移っていきました。
自分に自信がない時、人は自分にないものばかりを見てしまいます。一方で、他人から見れば、その人にしかない良さがはっきりと見えていることもあります。
広史:自分の価値って、自分一人だけではなかなか分からないんですよ。相手を鏡にしないと見えてこない。
ひろ子さんにも、ひろ子さんにしかない良さがある。それを少しずつ自分でも認めて、そこから生きられるようになれば、自信は自然と出てくるんだと思います。
ひろ子:昔は、自分にそんなものがあるなんて考えられなかったと思います。
則子:今は少しずつ、その「仮面を脱いだひろ子さん」が出てきていますよね。
誰かの期待に合わせた自分ではなく、作らなくても自然に出てくる自分。その自分が見えるようになって初めて、人は本当の意味で変わっていけるのかもしれません。
すぐに答えが出なくてもいい
対談の終盤には、「サナギから蝶へ」という話も出ました。
サナギを初めて見た人が、そこから美しい蝶が飛び立つ姿を想像することは難しい。小さな種を見ただけで、どんな花が咲くのかを言い当てることもできません。
人の変化も、それと同じなのかもしれません。
今の自分を見て、「この先どうなるのだろう」と答えを急いでも分からない。
けれど、自分の本当に良いところへ少しずつ光を当て、養分を与え続けていけば、いつかそれまでとは違う姿になっている。
ひろ子さん自身も、長い時間をかけて、少しずつその変化を積み重ねてきました。
「生まれてきてよかった」と、心の底から思えるように
最後に、広史さんが尋ねました。
広史:これからのひろ子さんに、何か希望や目標はありますか?
少し考えて、ひろ子さんはこう答えました。
ひろ子:心の底から、「生まれてきてよかったな」と自分自身が思えるようになりたいです。
そして先生から見ても、「この人は本当にそう思えているんだな」と見えるようになれたらいいなと思います。
則子:それは最高ですね。
ひろ子:自分だけじゃなくて。
78歳になった今も、「もう完成した」と考えるのではなく、自分自身と向き合い続けるひろ子さん。
子どものために始まった先生や治療院との縁は、いつしか自分自身を知るための縁となり、夫婦や親子、そして家族全体を見つめ直す時間へとつながっていきました。
「生まれてきてよかった」と、心の底から思える自分になること。
その言葉に向かって、ひろ子さんの歩みはこれからも続いていきます。
