「頭」と「体」がつながっていない ~身体のための日常の「動き」…臨床編~
「頭」と「体」がつながらない時代
なぜか、いつも疲れている。しっかり寝たはずなのに、朝からすでにだるい。仕事をしていても、どこか集中しきれない。以前ほど、物事に対してもうひとつ「情熱」が湧かない。
そんな感覚を持っている人は、少なくないのではないでしょうか。電車に乗れば、多くの人が孤絶的に目を閉じています。スマートフォンを握りながら、ただ時間をやり過ごしています。基礎代謝も落ち、疲労感を抱えたまま日常を回している人が増えています。忙しくても、暇でも、人は疲れている。これは一体、どういうことなのでしょうか。
リハビリテーション医として臨床に関わる中で、私はある共通点に気付きました。目が疲れている。首が固まっている。肩が上がり、呼吸が浅い。心もどこか余裕がなく、余計なことに反応しやすい。さらに、腸の働きも乱れている。下痢や便秘を繰り返し、「何となく調子が悪い」状態が続いている。こうした状態の人に共通しているのは、ただ一つ。頭と体が、つながっていないということです。
頭では理解しているのです。「起きているのならしっかりと目を覚まし、寝るのならきちんと寝た方がよい」「スマートフォンをボーッと長時間見ない方がよい」。しかし、それが体の動きとして行動として現れません。つまり、思いと行動が分離している状態なのです。
では、なぜこのような状態になったのでしょうか。私は、その背景に「時代の変化」もあると考えています。私たちのほとんどは、戦争を知りません。日本は、1931年の満州事変から始まり、日中戦争、そして太平洋戦争へと拡大し、1945年に終戦を迎えました。そこから80年。2025年は、昭和100年にあたる節目の年でもありました。現在の日本では、食べ物がない心配をする人はほとんど居ません。安全で、清潔で、便利な社会となっているからです。洋服を着て、機能的な靴を履き、快適な家に住んでいます。生活は効率化され、不便さは限りなく取り除かれてきました。
しかし、その一方で失われたものがあります。それが「体を使って生きる」という感覚です。日本の3大写真家と言われるうちの一人、濱谷浩さんの作品などで昔の日本人の写真を見ると、ハッキリと違いが分かります。どこか「しん」が通っているのです。自然災害も多く、決して便利とは今の一般の感覚では言えない環境の中で、人は日々、使える体を充全に使って「生きて」来ました。
現代はどうでしょうか。体をそれほど使わなくても、自宅に籠もったままでも生きていけます。いや、むしろ体に頼らない方が効率的な場面すら多いのではないでしょうか。体が使えるのに、充全に使うことなく過ごしていくと、深刻なこととして「つながり」を失ってしまうということが起こるのです。
頭と体のつながり。感知と行動のつながり。自分と他者とのリアルなつながり。それらが少しずつ切れていってしまいます。その結果として、疲れやすくなり、情熱が湧かなくなり、思うように成果も出なくなります。またどれだけ頑張っても、空回りしてしまいます。周囲との関係も、どこか噛み合わなくなります。
身体のための日常の「動き」の「質」
では、どうすればよいのでしょうか。答えは、「正しく動くこと」。単純なようでいて、これまで言われていただろうこととは少し違います。
ただ「動く」だけでは足りません。その「質」を問わなくてはいけません。私が臨床で重視しているのは、「一般的な運動」だけではありません。もっと手前にある、日常の中の動きの「質」こそ大切なものなのです。この日本という土地に生きる人間にとって、本来備わっていたはずの自然で、無理のない「動き」を取り戻すことなのです。
