焦鉄軍先生のこと

先生という人

焦鉄軍先生

出会えて四十年になろうとしています。

先生はいつでも、その「普通さ」を失わない。

先生のつまってしまう「動き」を見たことがない。

先生と会っていて「本物」でないところを感じたことがない。

先生は、わからないことをわからないこととされているので、そこに滞りが無く、普通で、自然に、歪み無く、事実が見えるように動かれ、智慧が降りて来て、問題を物事を解決して行かれる。そして、その「基準」を生きて困難を乗り越えて行く「土台」として示し、伝えて下さる。そして、それを先生のように、私を無くして受け、素直に自分のやるべきことをやって行くことで生きている「味」を深くして、自分の納得出来る「味」を得て行ければ幸せ。そのように〝本来の自分として生きて行ければ死んでも良い。“

何か大仰に感じられるかもしれないが、実際に四十年間、先生に毎日のようにお会いして来ての、自分の感じていることなのである。

先生にお会いすると、その凄さを感じる人も、何と素朴で実直な人なのだと感じる人も居る。何と浄らかな、何と力強い人なのだろうとか、だからこそ畏れ多いとか、その厚実さにドキドキしたりとか、いろいろな反応をする人達に出会って来た。

先生に出会って、どんどん余計なものが出て行き、必要なものが入って行く人は、大丈夫な人。そうでない人も、良くなりたい人を先生は見捨てない。

「徒弟」という言葉が有るが、我々生徒にとって先生は、凄い先生であるとともに厳しくも優しい兄貴的存在なのである。

先生の凄さは、その「深さ」の凄さ。

〝正しく動くこと、その「動き」は常に「眞ん中」であること。“と、先生は言われる。先生が常にその「眞ん中」を示して下さっていること、その「価値」がわかれば、我々は我々として出すべき結果を出して行けるのだと思う。

二〇十三年に内部発行で出した「十話百言」の中から第一話「焦鉄軍氣功」を、ここに再録しておこう。

この本がどういう本であったかは、その〈はじめに〉に述べてあるので、それもここに載せておく。

第81言には次のようにある。