焦鉄軍先生のこと

十月十二日(月)

本日は休日。

《日々と珈琲》にて昼食。和風ドライカレープレートと珈琲(シドラ)。休日の時間を楽しむ。

本屋に寄って、文藝春秋を何十年ぶりかで買う。

『音楽そのものを未来へ残すという意味なら、私はバッハを選ぶと思います。

(中略)バッハには、そこから先へ音楽がいくらでも展開していく可能性がある。

(中略)彼の音楽には、プロテスタントとしての「神」がいるんです。』

と、ピアニストの内田光子さんが「成田悠輔の聞かれちゃいけない話 第17回」の中で話している。

保田與重郎(やすだよじゅうろう 1910〜1981)は「自然」を「かむ(神)ながら」と訓ませる。

『自然(おのづから)」なるものは、神の産霊(むすび)の働き、それ自体』であり『「自然」は「産霊」の働きと切り離しては意味を成しません。』と言う。

先生が言われる「自然」も、そういう「自然」なのであろうと思う。

七佛通誡偈に「自浄其意」と有るが、この「意」は、「citta(過去の経験や記憶が蓄積されている場所)」であって、それを浄め、原点のゼロに戻ることができれば、よい休みが取れたということになるのだろうなと思った。

〝芸術は初点(原点)を示してくれる。“とは、来日当初に先生が言って下さったことだ。

“常に「ゼロ」から。” で行きたい。