焦鉄軍先生のこと

九月二十七日(日)

朝3時半頃に起き、昨日の日記をつけたり、その場走りをした。

それから、腰が立ち腹が坐り、をやってみて、鈴木正三(しょうさん)の仁王禅を思ったりもした。

正人さんが広史鍼灸院のホームページに連載している「身体のための日常の動き」の①②③④は、椅子に座って腰を決める姿勢のあと、フンドシを締めるような動きをやって、そのあとでやるといいな、などと考えた。

伊豆研修会2度目の稽古が6時半から、まさに「稽古」であった。

〝「眞ん中」から、はみ出さない前提で、足が持ち上がっての「流れ」で、「稽古」になる。“

〝腰が決まっている「姿勢」をつかみ、完成しない(自然になっていない)限り、「過敏」になり、強くなる人間でも弱くなる。そうすると、結婚は、強くなるきっかけなのに、一気に弱くなってしまう。そして、それを言い訳で、緩和しようとし、骨盤が下がってしまい、その姿勢が悪過ぎることなってしまう。

腰が決まっている「姿勢」をつかめれば、余裕が生まれ、日本人の「優しさ」が出る。日本の土地で、勝負となるのは、「姿勢」。

その重要さを認識すること。

重要と思わないと普段の努力が出来ない。

普段の努力の上での「稽古」。

先ず、自分の腰が決まっているかどうか。

腰が決まれば流れ、上半身と下半身がくっついてしまうことが無い。

腰というテーブルの上に、上半身を置いている感覺。その感覺が無く、上半身と下半身とがくっついてしまっていると、背骨の役目がずれ、見えないものを背負える感覺がずれ、逃げたくなる。

背負うには、「余裕」が必要。腰が決まっていると背負う余裕が生まれる。「余裕」を感じなければ、その時は背負える腰が無く、攻撃になってしまう。これは精神論ではなく「能力」の問題。

見えないものを背負うのは女性で、見えるものを背負うのは男性。

それが普通で自然なこと。腰が崩れている時は、観ている世界が違い、脳の余裕が無くなる。

脳の余裕が無いと、しんが締まらないので、余計なものにとりつかれる。”